カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ  サイトマップ
RSS

 

コクヨ100年物語

コクヨ100年物語

コクヨの創業は、明治38年(1905年)。創業者黒田善太郎が、27才のとき和式帳簿の表紙店を開業したのが始まりです。「表紙店」とは、その名の通り、当時商店で一般的に使用されていた和式帳簿の表紙製造だけを問屋から請け負うという、かなりニッチな仕事でした。店の名前は『国誉』(コクヨ)と名づけました。創業者は、「人の役に立つことをしていれば、必ず受け入れられる」という信念をもって、事業に打ち込みます。創業3年目に着手した、帳簿本体と表紙を一貫生産するという下請けから製造元へと大きな一歩を踏み出すのです。その後伝票、仕切書、複写簿、便箋などの製造にも着手し、紙製品メーカーとしての形態を次第に整えていったのです。

関東大震災・日中戦争・太平洋戦争などさまざまな苦難の時代を乗り越えながら商品開発を進め、後にユニバーサルデザイン(「最大限、誰でも使いやすい設計・製品仕様」のことで、1990年にアメリカで故ロン・メイス博士が提唱したコンセプト。)がコクヨの商品開発における大きな柱となりました。

創業者の黒田善太郎いはく「今頃儲かる商売など残っているはずもない。いい商売なら、金をもっている人間、頭のいい人間がとうにやっているはず。残っているのはカス商売だけだ」。ところが、善太郎は「であれば、初めからそうと腹をくくれば、腹もたつまい。自分が惚れ込んだ仕事であれば、世の中にカスの商売などあろうはずもない」と考えたのです。コクヨの創業者は、ちょうど106年前、この決意をもって事業を起こし、そこから「面倒で厄介な仕事、人が敬遠する仕事を進んでやり遂げ、世の中の役に立つものを作っていこう」という、コクヨの思想が生まれ、世界的な文房具メーカーへと成長したのです。

三菱鉛筆の誇り「ユニ」

三菱鉛筆の創業者、眞(ま)崎(さき)仁(に)六(ろく)氏が鉛筆作りを始めるきっかけとなったのは、1878年(明治11年)に開催されたパリ万国博覧会でした。今から134年前のことです。

日本ではまだ筆と墨が中心だった当時。ヨーロッパのメーカーが出品していた鉛筆に出会った眞崎氏は、一発勝負の筆と違って、書いた文字が消せるという鉛筆に、大きな衝撃と魅力を感じました。

もともと一企業に勤める会社員だった眞崎氏は、二足のわらじで、ほとんどゼロからの鉛筆作りを始めます。苦難と試行錯誤の末、1887年(明治20年)に鉛筆を完成させます。そして日本初の量産鉛筆がスタートするのは、1901年(明治34年)、実に創業してから14年目でした。

さらに、世界に誇れる独自の高級鉛筆をつくるため、「ユニ」の開発に一生懸命取り組みます。芯となる黒い鉛(なまり)をできるだけ細かい粒子にし、しかもその粒子を均一にそろえるということを徹底的に追求しました。そうしてついに、滑らかなのに芯の減りが少ないという世界一の高品質を実現させたのです。

三菱鉛筆の軸の色を決めるに当たっては、世界中の鉛筆を集めました。ブルーなどの寒色系が多かったことを参考にした結果、日本の伝統色の小豆(あずき)色と、ワインレッドの高級感をイメージした、海老(えび)茶色(ちゃいろ)に決まりました。寒色ではなく、暖色。こうして1958年(昭和38年)に高級鉛筆「ユニ」が開発、発売されたのです。ユニは、設計や製図をするプロだけでなく、小学生の間でも大人気となりました。

ユニは木軸に何層もの塗料を塗っています。鉛筆で書いた時、実は鉛筆の芯はわずかに震(ふる)えており、木軸を通して人の手に伝わってくるのですが、その振動が極力手に伝わらないように塗装の回数も考えられているのです。

このような細部にわたる書き味へのこだわりが、ロングセラーとなったのです。

ゼブラのアイデア精神

ゼブラの創業は、明治30年(1897年)もともと、ペン先メーカーとして“石川ペン先製作所”としてスタートしました。

創業者の石川徳松氏は、元々発明家で、その創造性により、ペン先も日本で初めて作り出され、石川氏の発明分野は多方面にわたり、なんとその中には医療用の義足もあったという。

時代の流れとともに筆記具の主役が付けペンからボールペンへと移り変わり、持ち前の創造力を活かしてボールペンを開発していく。昭和39年(1964年)には、3色ボールペンまで作り出しました。

このころ社名が『ゼブラ』に変わります。

“ゼブラ”は、シマウマのことで、シマウマは群れをなして生活する大変やさしい動物で、このシマウマのようにみんなで助け合って、一致団結していこうという想いが、この社名にはこめられています。また、シマウマは斑馬(はんば)とも書く、「斑」の文字は「文」の両側に「王」があり、文具の王様とも読めるので、文具業界のトップになりたいという意味もあったそうです。

さらに、商標のシマウマが後ろを向いているのは温故知新(古きをたずねて新しきを知る)を意味し、人の和の力と温故知新の精神がゼブラを支える2本の大きな柱となっています。

国内初となる、軸の両側をペンにしたいわゆる両頭タイプの蛍光マーカーの発売、油性マーカー“マッキー”その後“シャーボ”へと進化していくのです。

ゼブラの魅力の一つに『多機能』という点もあったのではないかと思うのです。